ヒトの「し」を悼む。 令和元年。

フィギュアスケート通信DX カナダ大会2019 最速特集号 (メディアックスMOOK)

個人的に羽生結弦選手は別に好きでわない。

けれどすんごぉーく尊敬している。

おいおい。
そのメンタリズム。
どこからくんの?

ってな感じ。


はて。
何故この方の写真か。

実は先日、従兄弟の子供の方が亡くなりまして。

去年から、別の従兄弟と、従兄弟の子供が次々亡くなってしまった。

そして昨日、11月30日に亡くなった従兄弟の子の葬儀に参列した。


私は自害を否定しない。

何故なら、侍の切腹は立派と思うからだ。

戦争時代もそう。

みんなどうやって「し」を選ぶかは、そのヒトの生き方だと思っている。

なので、従兄弟の子供ののち二人供が自害であるのだが、私は否定も肯定もしない。


昨日から、坂本龍馬
「何故皆、死に急ぐがじゃ」
って言葉が頭から離れない。

きっと坂本龍馬も私も、寄り添っていても、理解出来ても、許せない。

許す事が出来ない。

二人供私より年下で、まだ生きる価値があった。

どこでもいい。

何でもいい。

生きる希望があれば、「し」を選ぶ事なく、「いきる」
を選べた。


ヒトは、「いきる」方が楽だよ。
遥かに。


来世とかしらない。

見ることがあっても覚えてるかぼけっ💢


冥福を。
心から祈る。


「よく。頑張りましたね。」